志村けんと台湾人の絆:笑いが国境を越えた瞬間

台湾コラム
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志村けんさんが台湾でなぜこれほどまでに好まれたのか、その理由を探ると、台湾の社会背景と志村けんさんのコメディの特性が交差する点が浮かび上がります。特に、1987年の民主化前後、政治的にも社会的にも躍動していた台湾社会で、志村けんさんの体を張ったコントが台湾人の心をもわしづかみにしたことが大きな要因です。「笑いは国境を越えるか」という問いに、志村けんさんはまさしく「越えられる」と答えられるほどの人気を得ました。

志村けんと台湾:歴史的背景

台湾の今の30代後半から50代の人々は、経済が高度成長していた一方で政治的には戒厳令が敷かれていた時代を生きてきました。この時代、メディアのコンテンツのほとんどは当局の検閲を受けたものが放送されていました。地上波放送局はわずか3チャンネルしかなく、海外の情報はこの限られたメディアからしか得られなかったのです。台湾の人々は、とにもかくにも海外の生の情報に飢えていました。そんな時代に出現したのがビデオテープとレンタルビデオ店です。

当時の台湾のレンタルビデオ店には、映画のほかに日本の地上波テレビで放送された番組も録画されて貸し出されていました。その中でも高い人気を得たコンテンツが志村けんさんの出演する番組でした。特に、志村けんさんが出演する「8時だョ!全員集合」は、台湾の人々に大きな影響を与えました。

志村けんが台湾で愛された理由

志村けんさんが台湾で愛された理由の一つは、そのコメディスタイルが台湾の視聴者に新鮮であり、また普遍的な笑いを提供したことです。志村けんさんの体を張ったコントや、視覚的なギャグは言葉の壁を越えて理解されやすく、笑いを誘いました。これは、戒厳令下で娯楽に飢えていた台湾の視聴者にとって、大きな魅力でした。

また、志村けんさんのコメディは家族全員で楽しめる内容であり、家族団らんの時間を提供しました。夕食後には家族全員で「全員集合」を見るのが日課になり、それが家族の絆を深める大切な時間となった家庭も多かったのです。こうした共通の体験が、志村けんさんを台湾人にとって特別な存在にしました。

志村けんと台湾の友好関係への貢献

志村けんさんの影響はコメディの範囲にとどまりませんでした。2000年代には、日台間を結ぶ日本航空の子会社・日本アジア航空が台湾各地を紹介するCMに志村けんさんと金城武さんを起用しました。このCMは日本における台湾の存在感を高めると同時に、台湾の人々にも台湾の良さを再認識させました。志村けんさんをキャスティングした理由は、日台間での知名度の高さによるものであり、これが台湾と日本の友好関係をさらに深める一助となりました。

個人的な体験談から見る志村けんの影響

Aさん:レンタルビデオで志村けんさんを見るようになったのは、1970年代中期から80年代前半のことです。当時、台南市街地から郊外に引っ越した家庭では、NHKの衛星放送は受信できたものの、地上波は3チャンネルのみでした。戒厳令下でのバラエティ番組は政府の検閲を通ったものしか放送できず、歌番組や教育要素のあるミニドラマなど、正直に言ってつまらないものが多かったのです。

そのため、「全員集合」が大人気になったのは自然な流れでした。家族で「全員集合」を見ることは、家族団らんの大切な時間となり、両親は青春時代に返ったかのように夢中になり、小・中学生時代の子供たちは、日本人の印象が抗日映画の悪者から、面白いコントで笑いを取るコメディアンに変わっていったのです。

「全員集合」がもたらしたのは娯楽だけではありません。親にとっては、幼少期から親しんでいた日本語がよみがえるトリガーとなり、子供にとっては国民党政権によって作り出された日本のイメージが崩れるきっかけとなりました。

台湾のバラエティ番組への影響

「全員集合」は台湾のバラエティ番組にも影響を与えました。1970年代から活躍した歌手で女優の鳳飛飛(フォン・フェイフェイ)が司会を務める『一道彩虹』や『飛上彩虹』などの番組は、『全員集合』のコピーとも言える内容でした。番組内の「少年少女合唱団」というコーナーは、『全員集合』の「少年少女合唱隊」そのもので、衣装も日本版と同様に白を基調とし、手には楽譜を持ち、鳳飛飛がいかりや長介さんのように合唱団を指導しました。

このコーナーで頭角を現したコメディアンたちは、どこか加藤茶さんや志村けんさんの影響が感じられるスタイルを持っていました。コーナーの流れや笑いのポイントは、当時の海賊版ビデオを見た世代には見覚えのあるものでした。

まとめ

志村けんさんが台湾でこれほどまでに好まれた背景には、社会的な状況やメディアの制約を超えて、普遍的な笑いを提供したコメディの力がありました。戒厳令下で娯楽に飢えていた台湾の人々にとって、志村けんさんのコントは新鮮であり、家族全員で楽しめるものでした。また、志村けんさんの影響は台湾のバラエティ番組にも及び、日台間の友好関係を深める一助ともなりました。

志村けんさんの存在は、今でも台湾の中高年世代の心に深く刻まれています。彼の笑いが国境を越え、台湾社会に与えた影響は計り知れません。志村けんさんの笑いが台湾人の心に与えた影響とその存在の大きさに改めて気づかされます。

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